「写真と絵画の交差」に行ってきました。
長い長い絵の歴史。その歴史の中で、数々の名作が生まれてきました。
その絵の歴史の中に現れた写真と言う存在。
写真と絵が並存する時代。
新しい時代が始まるときのエネルギーってのは、作品を通しても伝わって来るモンですね。
カメラのルーツ
「カメラオブスキュラ」
フェルメールも使っていた機械で、
その様子は映画「真珠の首飾りの少女」でも見れます。
驚いたのは初期の写真の精度の高さ。
モノクロ映画にデジタルリマスターをかけたような完成度。とても100年以上前のモノとは思えません。
映画に興味がある身としては、
「映画の父」といわれる、リュミエール兄弟の撮影した
カラー写真が見れたのも良かったです。
写真が出始めたとき、画家の一部は自分達の存在価値に危機感を感じ、
写真と禁止にしろ!と言ったそうです。
ただ、一部の人間が既存権を確保するためだけに
新しい可能性を否定しても、時代の流れには逆らえません。
結局、写真はその後も発展を続けました。
そうすると、絵画の世界にも化学反応が。
写真を上手く活用した技術が発達したり、写真とはまるっきり逆の方向性を持つ絵画が誕生したりして、写真と絵が見事に交差。
そんな時代の流れを見れる、とても良い展覧会でした。
天気も良くて、ドライブも楽しかったしね♪
■写真の誕生
ギュスターヴ・ル・グレイ《海景》
1856-59年 鶏卵紙プリント
19世紀半ば、イギリスとフランスで写真が発明されました。この写真の誕生は、当時目覚ましい発達を遂げていた交通・通信網にのって瞬く間に世界中に広がり、人々を驚かせます。切り取られた場面(シーン)、見たこともない景色に画家たちも大いに魅せられました。
■絵画が求めたリアリティ
ギュスターヴ・クールベ
《水平線上のスコール》
1872-73年
非現実的な理想世界を描くのが主流であった19世紀、視覚に忠実な写実主義(リアリズム)が現れます。これは、封建制解体後の自由を求める市民社会の成長とも深く結びついた絵画の新たな展開でした。日常を目に見えるままに描くという行為は自由の獲得を示すものであり、後の印象派の礎ともなりました。
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ふと、思ったのは「プロレス」と「格闘技」の関係。
格闘技に対して、見てみぬふりをした日本のプロレス界。
強引に格闘技側の選手を引っ張ってきて、明らかに手抜きの格闘技ごっこを強要。
ガチで出る選手に対しては、ノーサポート。 負けたら戦犯扱いで自分達はしらんぷり。
それに対して、アメリカのWWE(旧WWF)は、それすらも飲み込んで、
独自のエンターティメント路線をどんどん拡大。
1998年~2000年あたりの両国のプロレスは、決定的な差がつきました。
その後、日本ではプロレスは完全に地盤沈下。
空前の格闘技ブームが起こりましたが、そのブームも数年でPRIDE崩壊というカタチで終結。
地道に選手を育成し続けていたアメリカUFCにその勢力は完全に奪われました。
なんか写真と絵の関係に似てるなぁ~と思ったのは全くの個人的感想だけど、
新しい技術が出てきたときに対する姿勢について、ちょっと思うところはありました。